交響曲とは

交響曲(こうきょうきょく)は、主に管弦楽によって演奏される多楽章からなる大規模な楽曲。シンフォニー(英:symphony、独:Sinfonie, Symphonie)、シンフォニア(伊:sinfonia)とも呼ばれ「管弦楽のためのソナタ」です。 原則として4つ程度の楽章によって構成され、そのうちの少なくとも1つの楽章がソナタ形式であることが定義であるが、特に近現代においては、例外も多いです。 なお、『交響曲』は『交響楽』ともいうが、どちらもドイツ留学経験のある森鴎外による訳語です。

交響曲の歴史

17世紀イタリアでオペラの序曲がシンフォニアと呼ばれていたが、G.B.サンマルティーニがこの序曲のみを独立させ、演奏会用に演奏したのが起源とされる。また、バロック時代の合奏協奏曲(特にコンチェルト・シンフォニア、サンフォニー・コンセルタンテ)も交響曲の成立、発展に影響を与えたとも考えられる。特にスカルラッティによるイタリア式序曲は「急-緩-急」の3部からなり、この3部分が後に楽章として独立することとなる。これはヴィヴァルディやペルゴレージに受け継がれ発展し、ガルッピらによってソナタ形式の楽章を持つ楽曲形式として発展していった。さらに、マンハイム楽派のシュターミッツやカンナビヒによってさまざまな管弦楽手法が研究され、エマニュエル・バッハらによってメヌエットの楽章が付け加えられるなどし、古典派音楽へとつながった。 古典派により交響曲の形式は一応の完成を見た。ハイドンは「交響曲の父」と呼ばれ、軽快で明確な形式を持つ交響曲を(番号のついたもので)104曲残した。同時期にモーツァルトは第41番までの交響曲を残しており、後期のものは特に重要であるが、初期のものは父レオポルトの手が入っており、どれだけが独自のものか不明である。 ハイドン、モーツァルトの交響曲形式は、
第1楽章 - ソナタ形式
第2楽章 - 緩徐楽章〔変奏曲または複合三部形式〕 調は第1楽章の近親調
第3楽章 - メヌエット 主調(第1楽章と同じ調)
第4楽章 - ソナタ形式またはロンド形式 主調または同主調
が標準的なものであった。 ベートーヴェンは、第3楽章に使われていたメヌエットをスケルツォに変え、古典派の交響曲の形式を完成させた。交響曲第5番ハ短調(運命)ではピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンの導入により音響の増大を図ると共に、第3楽章と第4楽章を続けて演奏することを指示した。交響曲第6番ヘ長調「田園」においては楽章の数を5つにし、各楽章には場面や内容を表す「標題」が付けられた。これについてベートーヴェンは、単なる風景を描写したものではなく人間の内面を表現したものだと言っており、次第にロマン派的傾向を強めていったことがわかる。最後の交響曲第9番では、終楽章で独唱と合唱、そして複数の打楽器を新たに取り入れ、さらに緩徐楽章とスケルツォの順番を逆にするなどの斬新な手法で、古典派における交響曲の頂点に達した。 ロマン派の時代には、交響曲が人間の内面を表現する手段となる。ドイツ系の作曲家であるシューベルト、シューマン、メンデルスゾーンの交響曲は、ベートーヴェンの影響が大きく形式上の大きな発展は見られなかった。一方ベルリオーズは「幻想交響曲」において巨大なオーケストラを想定したり、固定楽想(フィクス・イデー)を導入するなど、ロマン派における交響曲の大規模化の発端をつくった。これに対しブラームスは、厳格なソナタ形式と弦楽器を中心にしたオーケストラの響きを重視した「新古典主義」的態度をとった。またロマン派時代においては、緩徐楽章が近親調だけでなく、より遠い関係調となったり、ベートーヴェンの第7番で試みられたようにスケルツォ楽章が近親調や、より遠い関係調となる例も多くなった。これは交響曲のみならず、独奏ソナタや室内楽曲についても同様である。 ベルリオーズの交響曲『イタリアのハロルド』のように実質的には半ば協奏曲という作品もある。ラロの『スペイン交響曲』などは「交響曲」と名付けられているものの、実際にはヴァイオリン協奏曲であり、交響曲とは見なされていない。 ブルックナーにおいては、ソナタ形式が拡大され、従来の2つの主題に加えて第3主題をもつようになった〔ブルックナー形式〕。管弦楽手法としては、尊敬するワーグナーの影響から金管楽器が華麗に響くような巨大なオーケストラを使用すると共に、オルガンの奏法を応用した大胆なユニゾンや和声的展開を用いた。ウィーンの大学で彼の講義を受けていたマーラーにおいては単なる主題から『主題群』に発展し、管弦楽の規模の拡大(4管編成から5管編成まで)、自作の歌曲集からの引用、独唱や合唱等の声楽を含めたことが特徴的である。また、最終楽章も主調ではないことがあり、最終的には主調にたどり着いて終わるもの(第1番、第6番、第10番)もあるが、平行調で終わるもの(第2番、大地の歌)、半音上の調で終わるもの(第5番、第7番)、半音下の調で終わるもの(第9番)などもあり、調の扱いについても極限にまで拡大、または解体されている。交響曲第8番は、初演で独唱者7人と少年合唱、さらに2つの混声合唱団を伴った1千人余りによって演奏されたことから、『千人の交響曲』の異名を持つ巨大な作品である。リヒャルト・シュトラウスは初期に2曲の絶対音楽としての交響曲を書いているが、あまり注目されず、その後書かれた『家庭交響曲』や『アルプス交響曲』は初期の交響詩群を拡大させた標題音楽という意味で極めて高く評価されている。 国民楽派、民族楽派に分類される作曲家は後期ロマン派と時代が重なるが(広い意味でのロマン派でもある)、交響曲は彼らにとっても重要な表現手段であり、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフ、グラズノフ、スクリャービン、シベリウス、ニールセン、エルガー、ヴォーン・ウィリアムス、バックス、ハチャトゥリアン、シマノフスキらがそれぞれ3曲から9曲の交響曲(未完のものを含む)を残している。あまり注目されないが、ミャスコフスキーは27曲の交響曲を残しているし、ブライアンはその交響曲第1番「ゴシック」で8管編成による当時史上最大の交響曲を残している。 現代においても交響曲というジャンルは残っているが、内容的に大きな変貌を遂げたものも含まれている。新ウィーン楽派においてはシェーンベルクの室内交響曲のような形式の変容や、ヴェーベルンの交響曲作品21のように完全に音列技法に組み入れられたのもある。ソナタ形式の伝統に連なる交響曲作家としては、プロコフィエフとショスタコーヴィチが、今のところ最後の双璧である。以降も(古典的な意味での)交響曲を主たる表現手段とする作曲家はいるが、現代音楽の中心的な存在とはなっていない。 アイヴズの6つの交響曲(最後のユニヴァース交響曲は未完)、コープランドの4つの交響曲、メシアンの『トゥランガリーラ交響曲』、グレツキの交響曲第3番『悲しみの歌の交響曲』などの曲は有名であるが、形式や内容はロマン派の交響曲からは大きな隔たりがある。韓国の最初の大作曲家であるユン・イサンの交響曲は5曲あるが、本人は最後の題名付けに大変悩み、苦し紛れに半ばでっち上げで「交響曲」としたもので、内容を意識した物ではないとの見解を1990年当時示していた。 それでも現在も交響曲が作曲され、フィンランドの作曲家・指揮者のレイフ・セーゲルスタムは史上最多の200曲の交響曲を量産している。 日本における交響曲の受容は、山田耕筰が交響曲「かちどきと平和」を作曲したのが初めで、その後金井喜久子の、日本の女流作曲家として初めての交響曲(第1番。第1楽章〜第3楽章は1940年初演、第4楽章は未完)の作曲を経て、矢代秋雄、別宮貞雄、松村禎三、團伊玖磨、黛敏郎、吉松隆、池辺晋一郎などが交響曲を作曲している。


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